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伊勢神宮参拝延期
JUGEMテーマ:旅行


本日から
伊勢神宮に厄払いの参拝に行く予定でしたが
パートナーが急な腹痛に見舞われ
止む無く延期となりました
私の厄なのに
どうもパートナーに災難が降りかかっています
申し訳ない気持ちでいっぱいです
はやく元気になってね


author:norissi, category:旅行, 22:26
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トルコ旅行後日談その2
トルコ旅行で買ってきたトルコじゅうたんですが
その価値がいかほどのものか
帰国してからますます気になっていました

実際にどのくらいの値段で売られているのか
ネットなんかで調べてみても
トルコじゅうたんの取り扱いが少なくて
よくわかりませんでした

そこで、妻のアドバイスもあり
百貨店のじゅうたん売り場で
同じような大きさと品質の
トルコじゅうたんを探してみることにしました

そして、百貨店に行ってみたのですが
やっぱりトルコじゅうたんはありませんでした
(ペルシャじゅうたんばかりでした)
しかし、そこの店員さんがトルコじゅうたんなどについて
いろいろと教えてくれました
1、2年ほど前にシルクのじゅうたんの値段が
2倍くらい跳ね上がったとのことでした

それで、清水の舞台から飛び降りるつもりで
トルコで買ってきたトルコじゅうたんを見ていただけますかと
お願いしてみました(念のためにと持参していました)
すると、快くお受けしていただけました

その店員さんの鑑定によると
買ってきたトルコじゅうたんは
少なく見積もって、日本では15諭吉から20諭吉ぐらいの
値段がするそうです

そこそこの値段がすることがわかって
少しほっとしました
お礼にその百貨店のレストランで夕食をとり
売上に貢献させていただきました
どうもありがとうございました
author:norissi, category:旅行, 20:24
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トルコ旅行後日談その1
今回のトルコ旅行でこわしたお腹なんですが
帰国後も症状が1週間くらい続きました
その間はずっと「おじや」を食べていました
「また、おじやっ」と言いながらも
飽きずにいっしょに食べてくれた妻に感謝です
お腹をこわした原因は、やっぱり疲れや食べすぎです
それで胃腸が弱くなったため、こんなにも長引いたと思います
みなさんも、長期の旅行に行く場合は、万全の体調を整えてください
といっても、働いている人は仕事のやりくりとかで、旅行の直前には
どうしても無理をしてしまいますよねえ

おすすめ下痢止め
マルピー下痢止めS

author:norissi, category:旅行, 19:54
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トルコ旅行記第7日目〜イスタンブール観光その2
本日もイスタンブール観光です。午後4時までは自由行動で、お腹の調子も悪かったので、朝食をゆっくりと食べました。滞在していたラマダ・プラザ・イスタンブールの食事は、とてもおいしかったです。お皿一杯に盛って、もりもりと食べている人を横目に、苦い胃腸薬を飲んでいました。悲しい

午前10時にホテルを出発し、ガラタ塔にタクシーで向かいました。ツアーの人は流しのタクシーに乗ったところ法外な乗車賃を要求されたとのことでした。そのタクシーの運転手は、「いつ帰国するのか」とかいろいろと質問をしてきたそうです。帰国まで日数がないと知って、無茶なことをしたのかもしれません。外国ではタクシーに要注意ですね。韓国のように模範タクシーみたいのがあれば安心できるのですが。私たちは、ホテルの前で待機していたタクシーに乗ったのがよかったのか、ちゃんと送り届けてくれましたし、法外な乗車賃を求められることもありませんでした。

ガラタ塔
ガラタ塔

下から見上げると
ガラタ塔を下から見上げる

ガラタ塔は、1384年にガラタ地区を居住区としていたジェノヴァ人によって建てられた城壁の見張り塔です。高さは69.9m(テラスは62.6m)の9階建てです。オスマン帝国時代には、牢獄や天文台、火の見櫓として使用されましたが、1967年からは観光用施設となりました。最上階の展望テラスからは、金角湾、トプカプ宮殿、アヤソフィア、ブルーモスク、ガラタ橋、旧市街、新市街などが見渡せます。

右がブルーモスク、左がアヤソフィア
右がブルーモスク、左がアヤソフィア

ガラタ橋
ガラダ橋

その後、イスティクラル通りを街歩きしました。イスティクラル通りは、タクシム広場からチュネル駅まで約1.5km続く大通りで、車の乗り入れが禁止され、路面電車が往復しています。今日は日曜日で多くの商店は閉店しています。イスティクラル通りのお店もいくつかは閉まっており、普段は混雑しているそうですが、それほどではありませんでした。
この通りの両側には、トルコアイス=ドンドルマが売っていました。観光客を見ると、やたらと声をかけてきます。トルコ人は、もっとおいしいアイスを食べていて、ドンドルマはあまり食べていないそうです。
途中、ベネトンがバーゲンをやっていたので、ロシャツ風半そでを約1,700円で購入しました。
そして、昼食はシミット・サライでシミット・カフェを楽しみました。シミットとは、ゴマたっぷりのドーナツ型のパンで、外はカリッと香ばしく中はもちもちしています。このシミットは、ホテルのBuffetでも必ず置いてあるトルコでは定番のパンのようです。街角でもたくさんのシミット売りの屋台を見かけました。シミット・サライは焼きたてシミットの人気チェーン店で、シミットをはじめとするさまざまなパンとチャイなどの飲料を販売しているファストフード店です。

午後は、タクシム広場からシシリ駅まで地下鉄(メトロ)に乗って、ヨーロッパ最大級の規模を誇るジェヴァヒルショッピングセンターへ行きました。
ここにあるミグロスという地元のスーパーマーケットで、コロンヤとエフェスビールをゲットしました。コロンヤは、エチルアルコールにレモン香料などを加えたもので、アルコールが蒸発するときの爽快感を楽しんだり、消毒に使います。
エフェスビールは、空港の免税店でも販売していると聞いたのですが、万が一見つけられないかもしれないと思い、ミグロスで購入しました。これが正解で、やっぱり空港の免税店では見つけることができませんでした。どこかにあったのかもしれませんが。
トルコではいろいろな意味でお世話になったスイカがなんと一玉30円くらいで売っていたのは、びっくりしました。
ちなみに、ミグロスの店員さんには英語はまったく通じませんでした。英語で話しかけると、わかりませんという手振りをして逃げていってしまいます。
それから、お土産にトルコ名産のシルクを使ったスカーフが欲しかったので、トルコを代表するブランドVAKKOをのぞいてみました。トルコは付加価値税が高いので、空港の免税店で買ったほうが有利だと考えて、ここでは品定めをするだけのつもりでした。私たちを接客してくれたのは、年配の店員さんでした。他の店員さんは若い女性なのに、接客をしてくれた店員さんだけがおばさんなんです。若い店員さんは正社員で、おばさんはパートだったかもしれません。給料も売上歩合になっているのか、やたらと積極的に応対してくれました。若い店員さんはあまり接客に熱心ではありませんでした。私たちが外国人だったからかもしれませんが。
このおばさんは、50、60代の人へのお土産にしたいと言ってるのに、超派手な柄や色のスカーフばっかり出して広げて見せてくれたので、タジタジになりました。ました。ちょっとシックな柄を手にしたら、「それは地味すぎます、もっと年取った人です」と言われました。とにかく、スカーフの種類が豊富で迷ってしまうぐらいでした。おばさんの攻撃をかわしつつ、気に入った柄のスカーフがあったので、結局ここで買いました。値段は少し高くなりましたが、これも正解でした。空港の免税店ではあまり品数を置いておらず、気に入った柄のスカーフが選べたかどうかわかりませんでした。

夕方、ホテルでツアーの人たちと合流し、トルコ旅行もいよいよ大詰め。ラストを飾るのはボスフォラス海峡クルーズ。トルコ人ガイドさんの旅行会社が所有している小さな船を貸切ってのクルーズでした。
ドルマバフチェ宮殿
ドルマバフチェ宮殿
ドルマバフチェ宮殿は、1856年に建てられたヨーロッパ様式の壮麗な宮殿です。ドルマバフチェとは「埋め立てられた庭」と言う意味です。完成後は、トプカプ宮殿に代わるスルタンの居城として使われました。宮殿の面積は45,000m²で、285の部屋、46のホール、6の浴場(ハマム)、68のトイレがあります。

第1ボスフォラス大橋
第1ボスフォラス大橋
トルコ人のガイドさんによると、見積額が最も安かったイギリスとフランスの会社が建設しましたが、すぐに修理が必要になり、その修理費用の累計はもう一本橋が作れるぐらいになっているとのことです。いまでは、大型トラックは通行禁止です。ちなみに、見積額は日本が一番高かったとのこと。

チュラーン・パレス・ケンピンスキーチュラーン・パレス・ケンピンスキー
チュラーン・パレス・ケンピンスキーは、1857年にスルタンの夏の離宮として建てられたチュラーン宮殿を改装した最高級ホテルです。

ルメリ・ヒサール
ルメリ・ヒサール
コンスタンティノープル攻略のため、1452年にメフメット2世がわずか約4ヶ月ほどで造り上げた城塞です。

第2ボスフォラス大橋
第2ボスフォラス大橋
第2ボスフォラス大橋は、第1ボスフォラス大橋に懲りたトルコ政府が、見積額が一番高いが信頼できる日本の間組に発注して完成したものです。完成後一度も修理はしたことがないとか。

クルーズ終了後、ちょっぴり早めの夕食を、マルマラ海を見渡すレストランでいただきました。ここで、最後の記念にとトルココーヒーを飲みましたが、おいしかったです。

そして、いよいよ帰国の途につきました。いろいろな事件があったこともあり、今回のトルコ旅行は忘れ得ない旅となりました。名残を惜しみつつ、トルコ航空関空直行便に乗り込みました。しかし、トルコ旅行はこれで終わりとはならなかったのです。
author:norissi, category:旅行, 14:31
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トルコ旅行記第6日目〜イスタンブール観光その1
本日は、終日イスタンブール観光です。
Welcome to Istanbul


ヒポドゥローム→ブルーモスク→アヤソフィア→トプカプ宮殿→地下宮殿→グランドバザールという行程です。

ここで、また事件が発生しました。今までに写真を撮りすぎて(約300枚以上)、デジカメの記憶容量を超えてしまったのです。予備のカードはありません。イスタンブールにはまさにシャッターチャンスの連続。一番肝心なところで、緊急事態発生。仕方なく、大急ぎで選別して100枚ほど削除しました。ここでも、事前の準備が大切なことを思い知りました。どのような事態にも備えておけば、安心です。

まずは、ヒポドゥロームへ。ヒポドゥロームは古代競馬場の跡で、最盛期には長さ450m、幅130m、約10万人を収容できたといいます。現在は、スルタンアフメット広場となり、少数の遺構が残るのみです。最初のヒポドゥロームは、203年にローマ皇帝セプティミウス・セヴェルスによって建てられ、324年にローマ皇帝コンスタンティン大帝によって拡張されました。中央の3つの柱は、テオドシウスのオベリスク、蛇の柱、コンスタンティヌスのオベリスクと呼ばれています。
ヒポドゥローム

テオドシウスのオベリスク
390年に、テオドシウス大帝が、トゥトモシス3世(紀元前1504−14)によってエジプトのルクソールにあるカルナック神殿に建てられたオベリスクを、ヒポドゥロームの走路の内側に移築したもの。テオドシウス大帝はオベリスクを3つに分割しコンスタンティノープルに運んだが、現在のオベリスク(約17m)は最上部の一つしか残っていません。
テオドシウスのオベリスク
台座のレリーフ
テオドシウスのオベリスク台座

コンスタンティヌスのオベリスク10世紀にコンスタンティヌス・ポルフィロゲニトゥス帝によって建てられました。オリジナルは銅板で装飾されていましたが、第4回十字軍遠征時に略奪されました。
コンスタンティヌス・ポルフィロゲニトゥスの記念碑

蛇の柱
紀元前479年のギリシャのペルシャ軍に対する勝利を記念して鋳造され、デルフィのアポロ神殿にあったTripod of Plataeaを、コンスタンティヌス大帝がヒポドゥロームの中央に据え付けたものです。本来の姿は、三匹の絡みつく蛇の頭部の上に金の大杯がのっていたそうです。大杯は第4回十字軍遠征の際に略奪され、蛇の頭部は17世紀末に破壊され、現在は柱の一部しか残っていない。三匹の頭のうち一つはイスタンブールの考古学博物館に、もう一つはロンドンの大英博物館にあるそうです。
蛇の柱

ウィルヘルム2世が1898年にイスタンブールを訪問したことを記念して建てられました。ドイツで造られた後、パーツに分けられて運搬されて、1990年に当地で組み立てられました。新ビザンティン様式の八角形のドームは、8本の大理石の柱によって支えられており、ドームの内側は金のモザイクに覆われています。
ウィルヘルム2世の泉
ウィルヘルム2世の泉
ドーム内部
ウィルヘルム2世の泉の内部

スルタンアフメットト・ジャミイ(Sultanahmet Camii)−通称「ブルーモスク
トルコのイスタンブールを代表するモスクで、世界文化遺産であるイスタンブール歴史地域の歴史的建造物群のひとつ。オスマン帝国の第14代スルタン・アフメット1世によって1609年に造営が始まり、1616年に完成しました。内部に使われたイズニック・タイルと、それを引き立てるステンドグラスの光があまりにも美しいことから、世界で最も美しいモスクと評されています。
ブルーモスク
ブルーモスクを設計したのは、名建築家ミマール・シナンの弟子であるメフメット・アーで、シナンの技法が随所に受け継がれています。高さ約43m、ドームの直径22.5m、ドームを支える4本の柱の直径は約5m、礼拝堂の広さは約2,700屬任后
ドームの細部までイズニック・タイルで装飾されています
ドーム天井
世界で唯一6本のミナレットを持っており、その高さは約63〜68mです。ミナレットとは、祈りの時間を知らせるための尖塔で、より遠くまで声が届くように高い塔状の構造になっています。モスクを建造するスルタンにとって、ミナレットの本数や高さは権力の象徴でした。
内部には数2万枚以上のイズニク・タイルが使用されており、白地に青の色調の美しさからブルーモスクとも呼ばれています。
イズニック・タイルが素晴らしい
イズニック・タイル
ステンドグラスも見事です
ステンドグラス

ここで、またまた事件が勃発。ツアーの人がスリ被害にあったのです。実は、今日の観光に向かうバスの中で、トルコ人のガイドさんから、「今日はクルーズ船がイスタンブールに到着して観光客が多いから、スリに注意してください。特に日本人が狙われます」という注意がありました。気を付けないとと思っていたのですが、それが現実になろうとは。とても驚きました。被害にあった人は、ツアーから離脱して、カード会社に連絡したり、警察署に被害届を出しに行かれました。みなさんも、十分に注意してください。スリの手口は巧妙で、かばんのファスナーもあっという間に開けてしまいます。パスポートを盗まれると帰国できません。

続いてアヤソフィアに。
アヤソフィア

アヤソフィアは、「聖なる叡智の聖堂」を意味するトルコのイスタンブールにある博物館。東ローマ帝国(ビザンツ帝国・ビザンティン帝国)時代に東方正教会の大聖堂として建設され、帝国第一の格式を誇る教会、コンスタンティノポリス総主教座の所在地でした。東ローマ帝国の代表的な遺構であり、しばしばビザンティン建築の最高傑作と評価されています。その歴史と威容から、オスマン帝国の時代においても第一級の格式を誇るモスクとして利用されました。現在の建物は、537年にユスティニアヌス1世によって再建されたもので、トラレスのアンテミオスとミレトスのイシドロスに工事の指揮を執らせました。大きさは南北71m、東西77m、高さ54m、中央のドームは直径33mです。

スルタンのために特別に設けられた礼拝所スルタン用礼拝所

聖母子のモザイク−後陣のアーチのほぼ中央部にあり、幼いキリストをひざに抱く美しい聖母マリアが描かれています。
聖母子

大天使ガブリエル−後陣のアーチ向かって右側面に聖母子を守るように描かれています。
大天使ガブリエル

キリストとコンスタンティヌス9世と皇后ゾラ
キリストとコンスタンティヌス9世と皇后ゾラ

聖母子と皇帝家族
聖母子と皇帝家族

ディーシス−モザイクの細かさと巧みな表現力から、ビザンチン美術の最高傑作と評されています。元々は2階廊の壁面いっぱいに画かれていましたが、下部の3分の2は地震や盗難によって消失しています。
ディーシス

聖母子に献上する皇帝−西南の玄関からナルテクスへの入り口上部にあるモザイク画。見学ルートの出口になるので、見逃さないように注意してください。中央に立つ聖母子に、向かって左側のユスティニアヌスがアヤソフィアを、右側のコンスタンティヌスがコンスタンティノポリスの街をそれぞれ捧げている図が描かれています。
聖母子に献上する皇帝

ミフラーブ−イスラム教の礼拝用のくぼみで、モスクに改修された際に設置されました。聖地メッカの方角を示しており、中心から20mずれています。
ミフラーブ

次いで、トプカプ宮殿に行きました。
あいさつの門
あいさつの門

トプカプ宮殿(Topkapı Sarayı)は、1472年にメフメット2世が造営し、1839年にアブドゥル・メジト1世がドルマバフチェ宮殿に居城を移すまで、オスマン帝国の中心として国政が行われれ、歴代スルタンとその家族が居住した宮殿です。イスタンブル旧市街のある半島の先端部分、ボスポラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた小高い丘に位置します。広大な敷地内は4つの庭園エリアに分かれ、それを取り囲む宮殿はオスマン時代の遺物を展示する博物館として公開されています。トプは大砲、カプは門という意味です。

まずは、マルマラ海に臨む宮殿内のレストランKONYALIで昼食をとりました。メニューは、サラダ、パイ、ドネルケバブ、デザートです。とてもおいしかったのですが、腹痛再発という惨劇に襲われて、あまり食べれませんでした。とても親切なツアーの人にいただいた胃腸薬を飲んでしのぎました。

昼食後は自由行動となり、どうしても見たかったハレムに行きました。ハレムは、宮殿内の女性たちの居住区で、ハレムとは禁止という意味です。女性と黒人宦官以外は、スルタンとその皇子しか入場が許されていませんでした。どうして黒人を宦官にしたかというと、ハレムの女性が生殖能力がある宦官と関係を持って出産した場合、すぐに発覚するようにとの考えからだそうです。
それにしても、ハレムは贅を尽くした装飾やイズニック・タイル、ステンドグラスなど、とても見事でした。トプカプ宮殿に行った際には、必ず見学してください。
ハレムのイズニック・タイル
ハレム

タイルの間
タイルの間

ステンドグラス
ハレム内部のステンドグラス

ハレムの見事な外観ハレムの外観

そして、宝物館でオスマン帝国の珠玉の逸品を見学した。まぶしすぎます。往時の帝国の勢威がしのばれます。なお、カメラやビデオの撮影は係員の人が厳重に取り締まっていましたので、ご注意してください。

トプカプの短剣−巨大な緑のエメラルド3個が柄一杯に飾られ、さやには大小様々なダイヤモンド、中央部にはかごに盛られた果物のエナメル七宝細密画が飾られています。緑色はイスラム教で希望を意味し、スルタンは緑のエメラルドを好んだそうです。この短剣は、他国の君主に贈られるため作られたのですが、反乱が起こって君主が暗殺されたため、トプカプ宮殿の宝物殿に納められることになりました。
topkapi dagger

スプーン職人のダイヤモンド−漁師が拾ったダイヤモンドの原石を、スプーン職人が3本のスプーンと交換したという伝説があります。86カラットの巨大なダイヤモンドの周りに49個の小さなダイヤモンドが飾られています。
Spoonmakers Diamond

トプカプ宮殿の観光を終えると、徒歩で地下宮殿(イェレバタン・サライ)Yerebatan Sarayıに向かいました。
地下宮殿
地下宮殿は、ビザンチン帝国時代の6世紀に造られた地下貯水槽で、整然と並ぶ大理石の円柱やレンガ造りのアーチが、あたかも宮殿のように見えるため、地下宮殿と呼ばれています。幅約70m、奥行き約140m、高さ約8mで、28本の柱が12列に並んだ計336本の柱が天井を支えています。当時は約8万㎥の貯水ができたそうです。ジェームズ・ボンドの映画『007 ロシアより愛をこめて』の撮影場所として使われました。
メドゥーサのの頭部像
メドゥーサのの頭部像

涙目の円柱
涙目の円柱

本日の観光の最後は、グランド・バザールです。
グランド・バザール
トルコ語でカパル・チャルシュ(アーケードのある商店街)といい、アーケードで覆われた47,600屬良瀉脇發北4,000もの店がひしめき合っています。中は迷路のようになっており、貴金属、絨毯、衣料、おみやげなどのお店が混在し、エキゾチックな雰囲気が漂う商店街です。トルコ人のガイドさんによると、グランド・バザールにある商品の99%はニセモノで、観光客相手に商売をしており、地元の人は買物にこないとのことです。通りを歩いていると、売り子さんが調子よさげに話しかけてきます。ある売り子さんは、「僕は横浜に住んでいた中村という日本人です」とか言ってました。どう見てもトルコ人にしか見えないし、日本語もたどたどしいのに。また、グランド・バザールの入口すぐ右手のお店でナザールボンジューを買ったのですが、値切るパートナーに対して店主は「あなた貧乏ね」、私には「あなた金持ち」とか言って、なかなか値下げしてくれませんでした。こういった掛け合いを楽しむにはおもしろいところです。しかし、掘り出し物を見つけたり、安く買物をしようとするのは、たいへんだなあという感じでした。

これで観光は終了し、ホテルに戻りました。2人そろって胃腸の調子が悪いので、夜の自由行動は自粛して、ホテルのレストランで夕食をとりました。ところが、この料理がとてもおいしくて、またまた食べ過ぎてしまいました。これはいけない。


author:norissi, category:旅行, 14:12
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トルコ旅行記第5日目〜エフェソス観光
8時にホテルを出発し、一路エフェソスへ。

トイレ休憩時のドライブインでトルコの伝統菓子「ロクム」を購入しました。トルコ人のガイドさんは、イスタンブールよりも安いのでここで買ってくださいと言っていました。一つ6ドルで10個買うと一つおまけでした。高いのだか安いのだかわかりません。しかし、空港の免税店は確かにもっと高かったです。品質の比較はしていないので、一概に言えませんが。

11時30分にエフェソスに到着しました。ものすごい数の観光バスと観光客。トルコ人、ドイツ人、フランス人、日本人、中国人、韓国人と国際色も豊かです。約1時間の徒歩での観光で、またもや炎天下。8月の太陽がぎらぎらと照り付けます。

エフェソスは、「紀元前11世紀、ギリシアからやってきたイオニア人によってエフェソス近郊に都市国家が建設された。湾岸の植民地として交易によって発展したが、紀元前287年、リシマーコス帝統治下の時代に、川から運ばれた土砂のため港が埋もれ、疫病が蔓延。やむなく海から4.5km離れた現在の場所に遷都した。この町の黄金期はローマ帝国支配化の紀元前130年ごろ、約10万人が暮らしていたと推定される。当時は、ローマ、アレクサンドリアについで3番目に人口が多い町として繁栄し、数々の国際会議も開かれた。また、キリストの死後、使徒ヨハネが聖母マリアを伴って移り住み、余生を過ごした地としても知られている。」(るるぶトルコイスタンブールより)。
グーグルマップで見ると
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トルコ人のガイドさんの解説付きで、ヴァリスの浴場→オデオン→アゴラ→プリタネイオン→メミウスの碑→勝利の女神ニケ→ヘラクレスの門→クレトス通り→トラヤヌスの泉→ハドリアヌス神殿→公衆トイレ→セルスス図書館→マゼウスとミトリダテスの門→マーブルストリート→大劇場の順で回りました。

ヴァリスの浴場−紀元前2世紀に造られたハマム
ヴァリスの浴場

オデオン−約1400人を収容できたという小音楽堂。当時は上部が屋根でおおわれており、コンサートだけでなく、会議にも使われていました。
オデオン

プリタネイオン−紀元前3世紀に建てられた市議会堂
プリタネイオン

メミウスの碑−紀元前1世紀に建てられたもので、ポントスの乱を平定したローマの独裁官スラ、息子のガイウス、孫のメミウスのレリーフがあります。3世代にわたってエフェソスを統治しました。
メミウスの碑

勝利の女神ニケ−クレトス通り沿いに横たわっているレリーフ。ヘラクレスの門の上にあったものですが、下に落ちたままとなっています。ナイキのロゴはこれが原型になっているとか。
ニケ

ヘラクレスの門−クレトス通り入口の両側にある2本の柱。ライオンの毛皮をまとったヘラクレスの姿が彫られていることからこう呼ばれています。強くたくましいギリシア神話の英雄は当時の人々に大変人気がありました。
ヘラクレスの門

クレトス通り−ヘラクレスの門からセルスス図書館まで続く通り。道の両側には有名な議員や医者の石像が並んでいます。
クレトス通り

トラヤヌスの泉−紀元135年ごろ、トラヤヌス帝に献上された泉。手前は水道、奥の池は鏡としても使われていました。
トラヤヌスの泉

ハドリアヌス神殿−紀元138年ごろに当時の皇帝ハドリアヌス帝のために捧げられた神殿。手前の4本の柱はコリント様式で、上部のアーチの手前は女神ティケ、奥はメドゥーサのレリーフが彫られています。ハドリアヌス神殿にあった建都伝説のレリーフの現物はエフェソス考古学博物館に展示されています。
ハドリアヌス神殿
メドゥーサのレリーフハドリアヌス神殿

公衆トイレ−昔は肥料となるアンモニアを作るため、お金を払ってトイレをしてもらっていたそうです。
公衆トイレ

セルスス図書館−エフェソスのシンボルともいえる美しい建物。1階はイオニア式、2階はコリント式と様式の異なる柱で造られており、正面には知識、学識、聡明、高潔を象徴する4体の女性像(レプリカ)が置かれている。本物はウィーンに持ち去られましたた。紀元2世紀、この地を統治したセルススを偲んで息子のティベリウスが建てました。この図書館には1万冊を超える蔵書があったとされていますが、3世紀の半ばのゴート人の襲撃で焼失したそうです。
セルスス図書館
女性像
セルスス図書館の女性像

マゼウスとミトリダテスの門−セルスス図書館と商業地区を結ぶ門。アウグストス帝の奴隷であったマゼウスとミトリダテスが解放された後に、感謝の意を込めて寄進したものです。
マゼウスとミトリダテスの門

大劇場−紀元前3世紀に造られた後、ローマ時代に増築されたこの劇場は、収容人員約2万4千人で観客席の高さ38m、直径158mの半月形で、古代の劇場としては最大級です。山の斜面を使って建てられた劇場は音響効果も抜群で、現在もコンサートやオペラに使用されている現役の劇場です。本当に大きかったです。立ち入りが許されるところの一番上に登ってみました。大きいです。絶好の見晴らしです。
大劇場
大劇場

大劇場
大劇場

大劇場
大劇場

大劇場
大劇場

港通り(アルカディアン通り)−港から大劇場へと続く幅11m、長さ500mのプロムナード。紀元前1世紀頃に造られたこの通りは、大理石が敷かれ、歩道はモザイクで飾られ、通りの両側には商店が建ち並んでいました。アントニウスとクレオパトラをはじめ多くの要人が港からこの道を通りエフェソスへ入りました。
港通り(アルカディアン通り)

大劇場から港通りを望む
大劇場から港通りを望む

それにしても暑いです。駐車場のバスに到着したときには、またもや熱中症気味です。

昼食はセルジュークの町にあるヒッタイトホテルでいただきました。メニューは刻みトマトときゅうりのオリーブオイル和えサラダ、チーズ入りパイ、牛肉のシシカバブ、フルーツデザートです。どれもこれもおいしかったです。わりあいとあっさりしていたので、お腹痛の私にはよかったです。しかし、あまりの暑さのために、ご当地ビールのエフェスを飲んだのがいけませんでした。やや腹痛再発。

続いてエフェソス考古学博物館に行き、エフェソス遺跡跡で発掘された文化財などを鑑賞しました。
ハトドリアヌス神殿のレリーフの現物
ハトドリアヌス神殿のレリーフ

Colossal statue head and arm of Domitian (or Titus)
Colossal statue head and arm of Domitian (or Titus)

土着の神様?
土着の神様?

この博物館の目玉は、向き合うように置かれた二体のアルテミス神です。豊穣の神に擬せられている大地母神として、多くの乳房をつけた女神として表現されています。アルテミスは、ゼウスとレトの娘でアポロンの双子の妹で、オリュンポス十二神の一柱とされています。
アルテミス神(大)
アルテミス神(大)

アルテミス神(小)
アルテミス神(小)

いるかに乗ったエロスいるかに乗ったエロス

その後、アルテミス神殿を車窓から観光しました。この神殿は、古代世界の七不思議の一つに数えられており、7回破壊され7回再建されたといいます。最盛期には、直径1m20僉高さ19mの大理石の円柱が127本使われた55x115mの神殿でした。中には黄金や宝石に覆われた高さ15mのアルテミス像が置かれていましたが、石材の多くは後に教会やモスクを建てるために持ち出され、イスタンブールのアヤソフィアにも一部使われています。現在は復元された柱がただ1本立っているだけです。一部の柱はロンドンの大英博物館に所蔵されています。
アルテミス神殿

そして、バスはイズミールに向かい、トルコ航空の国内線でイスタンブールに戻りました。

本日の夕食は、その名も「うどんや」という日本食レストラン。日本食なんて、帰ったらいつでも食べられるのに、海外に来てまで日本食(もどきが多いし)なんてとおもっていましたが、今回はトルコ料理のこってりさにまいっていたので、とてもありがたかったです。しかし、それがくせものでした。おいしくてついつい残さず食べてしまったのと、黒ビールがあったので飲んでしまったのが、またもや惨劇を招いてしまったのです。

ホテルはイスタンブール新市街にあるラマダ・プラザ・ホテルです。設備も新しく、とても快適でした。
ラマダ・プラザ・ホテル
author:norissi, category:旅行, 13:37
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トルコ旅行記第4日目〜パムッカレ・ヒエラポリス観光
モーニングコールの午前6時より前に、お腹がゴロゴロして目が覚めました。眠たさとお腹具合が格闘しているうちに、モーニングコールのベルが鳴りました。ごそごそと起き出し、出発の準備をしていると、きましたー。旅行前から予想していた惨劇が。ダッシュでトイレに駆け込みました。

トルコ旅行の前に、ネットでみなさんのトルコ旅行記を読んでいると、お腹をこわしたという記述が結構あって、心配していました。サービスの一環として、旅行前に添乗員さんからご挨拶の電話があり、添乗員さんにこの不安をぶつけてみました。添乗員さんはきっぱりと、ツアーで出る食事だけを食べていたら、そんなことはなりませんと言われました。でも、今回のツアーでも、パートナーも含めてお腹の具合が悪くなった人がちらほらといました。

お腹をこわした原因ですが、ゝ‘眇やビュッフェ、スイカなどの食べすぎ、▲潺優薀詈の多い硬水やオリーブオイル、香辛料、6行日程や暑さなどによる旅の疲れ、などが考えられます。おそらく 銑が複数重なっているのでしょう。腹痛のため、おいしそうな朝食もあまり食べられませんでした。みなさん、海外旅行では体調管理に努めましょう。暴飲暴食をやめ十分に休息をとるようにしましょう。体調が悪いと、旅の楽しさも半減してしまいます。

本日は、バスでパムッカレに440kmの距離を移動します。最も移動距離が長い日に、つらかったです。各所のトイレ休憩では、トイレに一目散。

昼食は、トルコで4番目に大きな湖であるEgirdir LakeのほとりにあるDERYAでいただきました。
メニューは、トマトのスープとムサカ、インゲン豆の煮物、すずきのソテー、メロンとぶどうのデザートでした。
Egirdir Lake
Egirdir Lake

昼食後、さらに西に走り、夕方に今回の旅行のハイライトの一つ、パムッカレの石灰棚ヒエラポリス遺跡に到着しました。パムッカレとはトルコ語で「綿の城」を意味します。長い年月を経て凝結した温泉の石灰分が、まさに綿の城のような石灰棚の景観を生み出しました。綿と言われるのは、昔からこの地方が良質の綿花の一大生産地であることからです。炭酸カルシウムを多く含んだ温泉が湧き出ており、それが酸素と結びついて沈殿し、長い時を経て凝結しました。それがあたかも純白の棚田のような景観になっています。石灰棚は長さ約3km、厚さ約300mに渡って形成されています。
石灰棚

石灰棚

グーグルマップで見ると
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石灰棚の高いところは、観光客が多く薄汚れています。ネットの旅行記で、本当の石灰棚を見るなら低いところまで降りていくように勧められていたので、一番下まで行こうとすると、添乗員さんから、「下まで行くとまた登らなければいけません。自由時間をよく考えて行動してください」と注意されました。それでもかまわず、パートナーと下まで降りて行きました。確かに、下のほうはきれいでした。そこで、ひとしきり写真を撮影した後、登って帰ろうとしたのですが、これがたいへん。息切れしてしまいました。しかも、たいへんな暑さの中、直射日光と純白の石灰棚の照り返しが強烈で、じりじりと焼かれている感じがしました。そればかりか、ヒエラポリスを観光する時間もなくなってしまいました。パートナーはヒエラポリスの劇場跡などの遺跡を見たかったのにと、かんかんです。確かに、ヒエラポリスの劇場は必見です。
ヒエラポリスの劇場

グーグルマップで見ると
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「紀元前2世紀ごろ、ペルガモン王国のエウメネス2世が支配するようになってからヒエラポリスとよばれているが、それ以前の歴史については詳しく分かっていない。良質の温泉に治療効果があると信じる人たちが集まり、都市が建設されたと考えられている。1世紀のローマ時代、地震で町が崩壊したこともあったが、皇帝ネロの時代から急速に再建され、2〜3世紀に入ると人口10万人を超える典型的なローマ地方都市として復活。ビザンチン帝国時代も繁栄を続けた。」(るるぶトルコイスタンブールより)。

バスが停車している駐車場までは歩いて15分、往復で30分もかかります。炎天下の中の観光はとてもたいへんです。会社の上司が「トルコは夏にいくところでないよ」と言っていたのが、頭の中でこだましています。バスに帰り着いたときには、熱中症気味でふらふらでした。トルコ人のガイドさんに、砂漠から帰ってきたみたいだと笑われました。

パムッカレからバスで15分で、今夜宿泊するホテルLYCUS RIVERに到着しました。
リクスリバー

ここも田舎のホテルなので、設備はよくありません。しかし、温泉プールがあるのです。日本の温泉とはずいぶん違っていて、プールの水が単に温泉になっているだけです。温泉は赤褐色で温度はそれほど高くありません。そのプールに水着でつかるのです。屋外には普通のプールもありました。このプールがくせもので、水深がとても155cmととても深いのです。パートナーは足がつかないと怖がって、プールの縁ばかりで泳いでいました。そこで一泳ぎしてから温泉プールにつかりました。趣はずいぶん異なりますが、まぎれもなく温泉でした。肌がつるつるになりましたよ。

夕食はホテルでBuffet。ヨーグルト和えやナンみたいなものがありました。お腹が痛いのであまり食べれませんでした。

午後10時半からベリーダンスのショーがあるとのことで、ふらふらとプールサイドに見物に行きました。若い女性のダンサーが露出の激しい衣装を身につけ、腰を上下左右にふりながら踊っていました。こねがベリーダンスというものかと感心して見ていました。
Turkish Belly Dance はこんな感じでしょうか?YouTubeで見つけました


そうこうしていると、ダンサーの女性は、見物客の中の若いビキニの水着をつけた女性を次々とステージに連れてきました。そして、一人ずつ指名して、いっしょにベリーダンスを踊り始めました。トルコの女性(欧米の女性かもしれません)は、ベリーダンスの素養があるのか、なかなかのもので、しっかりとベリーダンスを踊っていました。最後に日本人の女性が指名されました。この日本女性は、トルコ人に負けていません。かなり激しく腰をくねらせ、手足をうまく使ってステップを刻み、情熱的に踊っていました。見物客も大喜びで、拍手喝采でした。
author:norissi, category:旅行, 00:36
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トルコ旅行記第3日目〜カッパドキア観光その2とコンヤ観光
本日は今回のたびのハイライトの一つ、カッパドキアの奇石群のうちきのこ岩で有名なゼルヴェ(Zelve)の谷へ。途中で、らくだ岩に寄って記念撮影をしました。
らくだ岩

そして、いよいよきのこ岩に。無数のきのこの形になった岩が林立しています。煙突にも似たこれらの岩は、そのなかに妖精が住んでいるという言い伝えから、「ペリバジャ=妖精の煙突」と呼ばれています。数千万年前の火山活動により火山灰が降り積もった凝灰岩層の上に、新たな噴火で流れ出た固い溶岩層が堆積して幾重もの層ができました。その後、長い年月をかけて風雨や川の流れなどで侵食されましたが、柔らかい凝灰岩層は侵食が早く固い溶岩層は神速が遅いため、固い溶岩が帽子のように上に残ったきのこ岩ができたそうです。この瞬間も侵食は起こっているため、今後何年かするとその風景も大いに変わっているかもしれないとのことす。このような奇岩が立ち並ぶゼルヴェは、カッパドキアの壮大な景色を見せてくれます。「ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群」は2007年7月時点で25しかない文化遺産と自然遺産の複合遺産として世界遺産に登録されている貴重なものです。
きのこ岩その1
きのこ

きのこ岩その2
きのこ

きのこ岩その3
きのこ

きのこ岩その4
きのこ

きのこ岩その5
きのこ

きのこ岩その6
きのこ

それから一部のきのこ岩には、内部をくりぬいた隠れ家があり、フレスコ画が残っていました。
きのこ岩内部のフレスコ画

ひとしきり記念撮影をした後、次はシルクロードを通ってコンヤの街に。その途中、連れ回しの刑第2弾(最後)のトルコじゅうたん工房に立ち寄りました。
トルコじゅうたん工房

日本語ぺらぺらの自称西郷隆盛のトルコ人(あまり似ていない。似てるというなら、濃い顔のトルコ人はみんな西郷隆盛になっちゃうよ)が、トルコじゅうたんの織り方、特徴、品質の違い、偽物の見分け方などを、女性の織り子さんの実演を交えながら説明していきます。このトルコじゅうたん工房Sentezは、織り子さんの学校も兼ねた半官半民の組織とのこと。
説明が一通り終わると売り込みスタート。強引な勧誘が始まります。買う気のない人はきっぱりと断りましょう。見るだけでいいからとか、鑑賞してくださいとか言いながらも、「どうですか、いいでしょう、予算は、大きさは」とか聞きながら勧めてきます。そして、交渉が成立すれば大きな拍手をします。これで「皆さん買ってるよ、あなたもどうですか」という雰囲気を作り出します。買うつもりがなかったのに、買ってしまったというツアーの人もいました。
連れ回しの刑場で商品を買ってくれる人がいるおかげで、ツアー料金が安くなっているという一面もあると思われるので、文句は言えません。ただ、本当に欲しいと思うものが納得できる価格であれば買ってもいいと思います。ツアーの途中で買い物ができて便利は便利ですし。しかし、今までの格安ツアーでの連れ回しの刑場での商品価格は、一般のお店での価格よりかなり割高でした。価格が高くとも、わざわざ一般のお店に行くのも面倒だしついでに買っておこうかというのも「あり」だと思います。要は自分が納得しているかどうかです。
斯く言う私も、今回はトルコじゅうたんを買ってしまいました。しかも、14.5諭吉という高価なものを。実は、玄関マットに5諭吉ぐらいのトルコじゅうたんが欲しかったので、ウール100%、ウールとコットン、シルク100%のじゅうたんを見せてもらいました。ウールのじゅうたんにはない、シルクじゅうたんの光沢や手触り、見る角度で色調や明度が変わるところに心を奪われました。とはいえ、シルクのじゅうたんはとても高価です。5諭吉どころの話ではありません。どうしようかなあと迷っていたところ、こちらに買う気が少しはあるみたいと踏んだ売り子のおやじさんは、強引な勧誘をどんどん仕掛けてきます。シルクの部屋という別室があり、そこにはシルクのじゅうたんがたくさんあるから、とにかくそちらに行きましょうと誘ってきます。この別室が曲者です。飼う気のない人は絶対に行かないようしましょう。ツアーの人と隔離して、買わないと戻れない雰囲気になってしまいます。私も軽い気持ちで別室に行ったのですが、そういう雰囲気になってしまいました。
そこで、「これは」というトルコブルーも鮮やかなシルクのじゅうたんがあったのですが、売り子のおやじさんが提示した当初の言い値は24諭吉でした。ちなみに値札は40諭吉ぐらいでした。これはいくら何でも予算額を大きく超過しています。「予算はどのくらい、まずは気に入ったじゅうたんを言って下さい。値段はその後ね」という質問で勧誘してくる売り子のおやじさんにも、優柔不断な態度でふにゃふにゃと生返事をしていると、値段が下がっていきました。まずは、売り子のおやじさんに代わって件の西郷隆盛が登場してきて、耳元で「これ、内緒よ。お客さんだけだよ。誰にも言わないでね」と言いながら、24諭吉が18諭吉に下がりました。それでもまだ、あいまいな態度を続けていました。
そうこうしているうちに、ツアーの出発時間になり、ツアーの人たちはそそくさと販売ルームから出て行ったようです。トルコ人のガイドさんがやってきて、「これはいいと思うよ。値段の交渉はまかせて」とか言ってきます。それでも、どうしようかとさんざん迷っていました。そうすると、とうとう「社長」と言われる人が登場しました(社長はおおげさで支店長ぐらいと思われる)。「いくらまで値段を下げたんだ」と売り子のおやじさんに聞いています(トルコ語だったのでよくわかりませんでしたが多分そんな感じでした)。売り子のおやじさんは「18諭吉です」と返答しました。そうすると「社長」は、「15諭吉でどうですか、これで決めて欲しい」と言いました。いきなりの大幅な値下げ。西郷隆盛が限界と言っていた値段が、「社長」の判断であっさりと下がりました。それでも、まだまだ悩んでいました。時間が刻々と過ぎていきます。「社長」は痺れを切らしたのか「14.5諭吉だ。これで握手だ」と言って、私の手を強引に握ってきます。パートナーは「14諭吉」と叫んでいましたが、それを無視する店員の一斉拍手。15諭吉くらいならいいかなあと思っていたので、押し切られちゃいました。
これがそのじゅうたん
シルクじゅうたん

こちらから見るとこんな感じですが
こちらから見ると

違う方から見るとこんな感じになります。違いがわかるでしょうか。
違う方から見ると

果たして14.5諭吉の価値があるのかどうか。でも、最初に売り子のおやじさんが提示した24諭吉は何だったんだろうと思います。パートナーは日本で鑑定してもらおうかと言っていました。売り子のおやじさん→西郷隆盛→「社長」と登場人物が入れ替わり、値段を下げながら交渉していくというのも、有利に交渉をまとめる「しかけ」なのかもしれません。最初の売り子のおやじさんは、「この値段は、この工房が織り子さんから買い取る仕入れ値段と同じだよ」と言っていましたが、どうだかわかりません。何しろこちらにはトルコじゅうたんの品質を見分けることもできないし、相場すらもわからないのですから。「信頼できる店」でもこれだけ価格が下がっていくのですから、トルコじゅうたんの買物はとても難しいものです。事前にある程度の知識や相場観を仕入れておけば、大きな失敗をすることはないかと思います。それにしても、このじゅうたんにはいかほどの価値があるのか。「なんでも鑑定団」に出演した「骨董好きおやじ」の心境です。ちなみに最初の売り子のおやじさんは大阪のミナミで商売をしていたらしく、いろいろと当時のことを話してくれました。
そして、バスは出発。売り子のおやじさんたちは、とても愛想よく手を振っていました。

昼食は、途中のドライブインのレストランAGACLIで、きのこスープとサラダ、牛肉料理、チョイスデザート。ここで、またまた事件発生!チョイスデザートのライスプリンに青かびがぽつんぽつんと発生していたのでした。添乗員さんに言って、もう一つのデザートに交換してもらいました。しかし、気づかずにすでに食べ切っていたツアーの人もいました。レストランの店員によると、今朝作ったからかびが発生するはずはない、ピスタチオナッツの粉末をトッピングしているので、その粉末ではないかということでした。でも、見た感じはパンなんかにできる青かびのようでしたよ。パートナーは、青かびではと思いつつ、その部分を避けて食べれば大丈夫と考えて食べていたそうです。気が付いていたら、みんなに伝えてあげなさいよ!

そして、バスはコンヤに向かって出発。途中でキャラバンサライ(隊商宿)のスルタンハン(Sultan Han)に立ち寄りました。スルタンハンは1229年に建てられたもので、面積が4,900屬發△襯札襯献紂璽朝最大のキャラバンサライ(隊商宿)です。キャラバンサライとは、10世紀頃にトルコに建てられた隊商宿のことです。隊を組んで長い旅を続けていた商人達(キャラバン)にとって、周辺に何もないところに建てられた宿は宮殿(サライ)のように大きく立派な建物としての印象を受けたことから、キャラバンサライと呼ばれるようになりました。現在トルコ国内には約100のキャラバンサライが残っていますが、そのほとんどが廃墟化しています。しかし保存状態が良く見学可能なものもあり、カッパドキア地方近郊のスルタンハン、カラタイハン、アウズカラハンなどが有名です。キャラバンサライができたおかげで、アジア、北アフリカと南東ヨーロッパに及ぶ交易網を通じて、通商が活発になり情報や人々の交流も盛んになりました。キャラバンサライの多くは、正方形か長方形の外壁があり、大きく重い荷物を背負ったらくだがそのまま入れる広さがある入口が一箇所だけあります。中庭は露天で、壁の内側には多くの部屋や家畜部屋があり、商人やその従者、家畜、商品を収容することができました。
キャラバンサライ入口
隊商宿入口

礼拝所
礼拝所

内部の施設
内部の施設

内部の施設
内部の施設

内部の施設
内部の施設

そして、コンヤではインジェ・ミナーレ神学校メヴラーナ霊廟を観光しました。コンヤは、13世紀にセルジューク朝トルコの都として栄えた古都で、旋回舞踏で有名なメヴラーナ教のかつての総本山があり、アナトリア随一の宗教都市として繁栄した姿が見られます。

インジェは「細長い」、ミナーレは「尖塔」という意味です。1267年にイスラム神学校として造られました。現在は、イスラム関係の彫刻博物館になっています。
インジェ・ミナーレ神学校

メヴラーナ教は、13世紀に神学者メヴラーナ・ジャラールッディーン・ルーミーによって創設された神秘主義的イスラム教団です。スカートをはいた信者が音楽にあわせて、くるくると旋回しながら踊ることにより神と一体になれるという教えを持っています。円筒型の帽子にスカートといういでたちで一心不乱に旋舞する姿は幻想的だそうです。何時間も踊り続け、一種のトランス状態になるそうです。メヴラーナ教は15世紀頃にはオスマン帝国の庇護を受け隆盛を極めましたが、1923年のトルコ革命では「脱イスラム政策」の一環として、1927年までに霊廟は破却され、教団は解散させられました。その後、歴史的文化価値などから復興し、霊廟は博物館として一般に開放され、また旋舞は毎年12月に1週間、観光行事として体育館で公開されています。
メヴラーナ霊廟

ドライブインにあったメヴラーナ教の旋舞のオブジェ
旋舞のオブジェ

メヴラーナ教の旋舞はこんな感じでしょうか?YouTubeで見つけました


これで3日目の行程はすべて終了。ホテルはコンヤ郊外のRIXOS KONYA。以前はヒルトンホテルであったらしくて、建物も設備も豪華でした。
RIXOS KONYA

夕食はホテルでBuffet。食事もたいへんおいしく、ついつい食べ過ぎてしまいました。特にすいかが甘くてがぶがぶ食べました。これが後の惨劇を招く一因となったかもしれません。トルコの楽器による生演奏なんかもあり、とても楽しい食事の時間をゆったりと過ごしました。ところが、某ツアーの人たちは、私たちより後に食事に来たにもかかわらず、食事をあっという間に済まして帰っていきました。明朝の出発が早いのかもしれませんが、もう少しゆったりされてもと勝手に思っていました。

RIXOS KONYAは、ハマムでのあかすりの料金が安いとのことだったので、チャレンジしてみました。ハマムはトルコの伝統的な蒸し風呂で、ローマの共同浴場がルーツとのことです。ハマムの中はものすごい蒸気で中央に大理石の台があります。ハマムのおじさんに、まずはそこに寝そべるように言われました。台の上はかなり熱いです。何分か寝そべって肌を柔らかくします。それから、おじさんから、壁際の洗い場に腰掛けるように指示され、あかすりをしてもらいます。両手、両足、おなか、背中を力いっぱいこすっていきます。痛い気持ちいい感じです。けっこうあかがとれて、少々恥ずかしかったです。あかすりが終わるとシャンプーです。おじさんは、私の頭をぐわしとわしずかみして、頭からざぶざぶとお湯をかけます。ぶぶぶっ、ばはぁ。そして、豪快に泡立てて力任せに洗います。それからまた、頭からざぶざぶとお湯をかけます。ぶぶぶっ、ばはぁ。

ここで、アクシデント発生。おじさんが、頭がふらふらだからちょっと休憩したいと言いました。ハマムの外のリクライニングシートに案内され、しばし休憩。何分経過したでしょうか、おじさんが再度登場し、もう大丈夫だからとハマムに入りました。次は大量の泡に包まれながら体全体をマッサージする泡マッサージ。おじさんが大量の泡を作り、全身にかけていきます。そして、両手、両足、背中と丁寧に揉みほぐしてくれます。これも、痛い気持ちいい感じです。マッサージが終わると、豪快にお湯をかけてくれて終了です。あかすりだけだと15トルコリラ(約1,400円)、泡マッサージをつけると25トルコリラ(約2,300円)です。5トルコリラ程度のチップをおじさんに渡すのを忘れないようにしてください。私は忘れてしまいました。おじさん、すみませんでした。

この日も濃密な時間を過ごして疲れましたので、あっという間に眠りにつきました。
author:norissi, category:旅行, 20:23
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トルコ旅行記第2日目〜カッパドキア観光その1
なんやかんやと13時間ほどのフライトで、トルコ・イスタンブール・アタチュルク国際空港に到着した。ここで国内線に乗り継いでカイセリに行くのだが、出発まで3時間弱あり、空港内をぶらつくがすぐに見るところがなくなる。仕方なく搭乗口で時間を潰す。国内線だけあって、トルコのビジネスマン風の人も多数いた。トルコ人は中央アジア出身の民族とはいえ、かなり体格がいい。これは、下世話な話だが、男性トイレの小便器の位置が日本と比べると異常と思えるくらい高い位置にあることからもうかがえる。

カイセリ便の航空機はA320。トルコ航空の座席レイアウトは3×3で、A340よりも広い感じがした。約1時間のフライトなのだが、飛び立ってまもなく軽い機内食が出た。ぜんぜん体を動かしていないのに、食べてばかりだ。

予定どおり午前10時にカイセリに到着し、専用バスにてカッパドキアに出発する。専用バスは3列シートの革張りの座席で、トイレつきの豪華バス。30人定員に22名が乗り込む。窓も大きくとても快適だ。この豪華バスは、今回のツアーの目玉の一つらしい。確かに、トルコの観光地で出会った日本のツアーはみんな4列シートにかなりの大人数の人が乗り込んでいた。しかし、その分ツアー料金も安いのだから、一概にどちらがいいとは言えません。

カッパドキア観光では、まずはギョレメ野外博物館(Goreme Muzesi)へ。
ギョレメ野外博物館
「カッパドキアでは4世紀ごろから多くのキリスト教徒が住むようになっていたが、9世紀ごろから強まったイスラムの圧迫から逃れるため、岩を掘って洞窟に教会や修道院を造ったといわれている。その中心となった場所がギョレメで、一帯には400〜500もの教会があったという。現在は約30の教会が野外博物館として公開されており、信徒が描いたフレスコ画や信仰の名残などを見学することができる」(るるぶトルコイスタンブールより)。
最初は、バジル教会に。
バジル教会

続いて、エルマル(Elmali=りんご)教会に。りんごの由来は周辺のりんご畑にあるそうです。
りんごの教会

さらに、11世紀に建てられたユランル(Yilanli=蛇のいる)教会に。蛇と戦う聖人のフレスコ画があります。
蛇の教会

カランルク(Karanlik=暗闇)教会が、トルコ観光局の事情で閉鎖されていたため、トカル(Tokali=櫛のある)教会へ。カッパドキア地方最古の岩窟教会です。美しい青基調のフレスコ画があります。
トカル教会

いずれも見事なカッパドキア様式と呼ばれる多色のフレスコ画で、ごつごつした岩石の外観との対照が妙です。イスラムの圧迫を受けていたキリスト教徒の往時がしのばれます。ところどころフレスコ画の目の部分が剥落しているが、こえは偶像崇拝を禁じるイスラム教徒により削られたためだそうです。タリバンのバーミアンの巨大大仏破壊を思い出しました。

昼食は、洞窟を改造したユニークなレストランALFINAで、赤レンズ豆のスープとサラダ、名物の鱒のグリル、デザートはメロンとすいかです。
alfina

これはとてもおいしかったです。特にメロンとすいかは日本のものと遜色ないくらい甘くておいしかったです。このすいかも後の惨劇につながります。食事にはミネラルウォーターが付いていましたが、オプションのワインやビール、ジュースなどは、観光地価格なのか日本よりも高かったです。これはトルコ旅行を通じてそうでした。

昼食後、ウチヒサール要塞を下車観光
ウチヒサール要塞

その後、トルコ石の店に連れ回しの刑。フレンドツアーでは、本物が欲しい、信頼できる店がいいというお客さまの要望にこたえて、クレームがあってもツアーで対応できる店しか行かないとのこと。なるほど、今回のツアーでは、連れ回しの刑は明日のトルコじゅうたんの店と計2店のみ。とはいえ、やっぱり店員は強引に勧誘してきます。パートナーにトルコ石のブローチでもどうと勧めるが、遠慮しているのか要らないとのこと。店員の勧誘をうまくさばきながら、大理石でできた卵を3ドルで購入。トルコは大理石の産地で安価な部材らしい。トルコの家のキッチンはたいがい天然大理石で作られているとのこと。バス旅行の途中にも、大理石を切り出している山がありました。それから、トルコ人のガイドさんによると、トルコには純粋なトルコ人はいないらしい。中央アジアから各地を征服しながら現在の地に来るなかで、征服したアラブの人やギリシャの人と混血していったそうです。そのため、同じトルコ人でもヨーロッパ的な顔立ちの人やアラブ的な顔立ちの人がいるそうです。トルコ人の体格がアジア人と比べてとてもいい理由は、そういうことだったのですね。異常な高さにある小便器の理由も納得。

続いて、カイマクルの地下都市に。「キリスト教徒がアラブ人の迫害から逃れるために造った地下都市で、カイマクルは多いときには5千人以上が暮らしたという巨大なもの。内部には地下8階まであり、長さ40mもの通気口から外気を取り入れていた。台所や食料庫、ワイナリー、教会など長期間にわたって生活するための施設がすべて整い、都市としての機能を果たしていたことがうかがえる」(るるぶトルコイスタンブールより)。パートナーは世界不思議発見で見たのと同じだと感激しておりました。

圧搾したワインをためるところ
カイマクル

敵が侵入してきたときに転がして通路を塞いだ大きな丸い石
カイマクル

通気口
カイマクル

バスの駐車場からカイマクル地下都市の入口までの沿道には土産物屋がずらり。流暢な日本語で話しかけてきます。地下都市の入口に近いほど値段が微妙に高くなっているようです。売り子は子供が多くて学校に行っているのかと心配になりました。夏休みだったかもしれませんが。ここ以外でも子供が働いている姿をよく見ました。

これで2日目の行程はすべて終了。日本を出発してから2日弱ずっと動き回っていたので、正直疲れました。この強行日程も後の惨劇につながっていたのかもしれません。ホテルはカッパドキアのPERISSIA
ペリッシア
当地では最高クラスのホテルらしいのですが、なんせ田舎のホテルなので、蛇口をひねった最初の水は茶色だったり、シャワーの水量が少なかったりするそうです。トルコでは水がとても貴重だそうです。今年は雨や雪が少なく、首都アンカラでは断水日が決まっているとのこと。夕食まで時間がありましたので、まずはシャワー。長旅の疲れを洗い流します。

夕食はホテルでBuffet。トルコ料理は世界三大料理といわれますが、何かつかみどころがないような味でした。豆料理が多かったのですが、卵料理やチーズはあまりありませんでした。デザートは極甘です。たいへん疲れていたのと明朝早いので、速攻で寝てしまいました。
author:norissi, category:旅行, 10:26
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トルコ旅行記第1日目〜トルコへ出発!
いよいよトルコに出発する。フライトは深夜の23時45分関空発トルコ航空47便。休みがなかなか取れないので、今日も仕事をする。手早く終わらせようと努力するも、生来の段取りの悪さからいくつか積み残してしまった。会社の同僚方には、旅行中もいろいろ手間をかけると思う。感謝。カイマクルの地下都市では、懐中電灯があれば便利ということなので、急遽、電器店に買出しに行く。そのため、時間的な余裕がなくなり、帰宅してからの荷造りでおおわらわになってしまった。前日にある程度準備していたのだが・・・。やっぱりというべきか、コンタクトの洗浄液を忘れてしまった。何事においても事前の準備が大切と思い知る。しかし、喉もと過ぎればなんとやらになるのだが。
トルコ航空
関空で軽い食事をとり、いよいよトルコ航空に乗り込みイスタンブールに出発。航空機はA340。パートナーは、パーソナルディスプレイがないと文句を言っていた(最新映画の鑑賞を期待していたらしい)。座席は一番後ろで、リクライニングがあまり倒れず(全席この程度しか倒れないのかもしれないが)、すぐ後ろがトイレでドアの開け閉めの音や排出音がうるさくて、あまり寝られず。出発してから1時間半後に機内食が出て、到着2時間前にもまた機内食が出る。これは、明らかに食べすぎ。後々で考えると、このことも旅行中の惨劇の一因になったのかもしれない。
author:norissi, category:旅行, 10:19
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